「同期会に出席して」和田 多鶴(旧姓 三部)/昭和四十年卒

 七十才の齢を前にして卒業後初めて、同期会に出席いたしました。「赤坂金龍」という和食料亭にて昼食をとりながら、同学年の皆さまと歓談いたしました。私は麹町学園卒業以来、何方にも女子校は素晴らしいと言い歩いています。この気持ちは、共学校出身者にはわからないところです。理由は、皆さん、積極的で「和」を持って協力し合い、だれかれと偉そうに前に出ることもなく、明るく助け合い、事を成し遂げる文化がありました。おそらく現在もその文化は続いていると思います。その文化を素地に、特に女性の先生方が優秀で、分析的眼を持って生徒を建設的な方向へ導く教育の文化もありました。私のような公立中学から来た高校生にはとても新鮮でした。当時、共学の文化は、生徒について男子が中心、女子は添え物でした。教員も決めるのは男性の先生、女性の先生は学校の決め事に関しては、寡黙、無表情でした。ただし、授業ではわが城であったために、饒舌でした。しかし、女子校の女性の先生のように handsomewomen ではありませんでした。当時から数えて五十二年を経て、同期の皆さまは二本の足をしっかり地に付けて、明るく朗らかにわが道をなお一層堂々と歩いていらっしゃいました。同期会で出会い、お話しした皆さまに感激し、皆様を誇りに思いました。本当に教育は、まさに「人」です。

 私は、四大(獨協大学)を卒業後、外銀で外国為替の買い取りをし、?町学園で私が尊敬いたしておりました担任池川先生と英語科川辺(のちの桜町)先生に、高校の教員になることを勧められ、私立の高校教諭になりました。当時の英語教育は文法訳読式が中心でした。その教え方はわけないことなのですが、果たして使えるようになるのか、疑問を抱えていました。そのような折、アメリカのトップの教育大学院 Columbia University TeachersCollege が日本で修士課程の中のTESOL を開設すると耳にしました。その学問の中で、SLA(第二言語習得)と英語教員に大変興味を持ち、同期のうち、一番最初に修論を書き上げ、New York 本校から修士号をいただききました。その後、英語教員を続け、日本にキャンパスのあるアメリカのTemple University Granduate Schoolの博士課程で質的研究として博士論文 TEACHER CHANGE : A CASESTUDY OF THE EVOLUTION OFLANGUAGE TEACHER IDENTITYAT MID?AND LATER CAREER を十年研究して、アメリカのcopyrightと博士号を取得し卒業しました。驚いたことに、アメリカ当局のタイプミスで私の題名に英語のミスが発生していたのを発見。copyright はあるのですが、修正に時間がかかっています。Copyright の期間が終われば、googlescholar でどなたでも閲覧し、取り出すことができます。そのような人生を送りながら、気が付いたら七十才になりました。多くの苦難の道を歩いてきました。自分の専門分野では一応professional になることができましたが、人として一人前になることができたのか、はなはだ疑問です。それを今後の課題といたしましょう。